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2009/01/05(Mon)

長崎観光 その④

VANです。

船酔いでフラフラになりながら到着したのがここ原城跡です。


0104  4


ここは日本最大の一揆「島原の乱」の終焉の地です。

一応、「島原の乱」について簡単に説明しておきます。

1637年、この地を納めていたのは松倉勝家という大名でした。
松倉氏は勝家の父で先代の重政の時代から、過分な規模の島原城の築城、
江戸幕府に取り入るため、積極的に幕府による事業に費用を捻出する等、
財政を圧迫し領民に過酷な税を課していました。
また、この地は前の領主である有馬氏がキリシタン大名だったため、キリシタンが多く、
厳しい弾圧を行なっていました。

そんな中、この地に飢饉が起こります。
領民は今日食べる物にも困る有様にも関わらず、
重税と厳しい取立ては見直されることなく相変わらず続き、餓死者まで出る状態でした。
そして1637年、領民が代官を殺害する事件が起こります。
(この事件のきっかけは、いろいろな説があるため割愛します)

引っ込みがつかなくなった民衆はこれまで溜まりに溜まった不満を爆発させます。
次々と村々を巻き込み、反乱軍となり島原城を襲います。
しかし、城を落とすことができず、旧領主、有馬氏の城で廃城となっていた原城に篭城します。

その人数は島原半島の南側の領民全員、天草領民、浪人等合せて3万7千人にも上ったそうです。
この原城が落ちた際、この反乱軍全員がこの地で惨殺されたそうです。

(ちなみに対する幕府軍は12万人もの大軍だったそうですよ。)



0104  11


ここが原城の本丸跡です。

思っていたより広い・・・。
掲げられた十字架が悲しげです。



0104  1


本丸跡の一角にこのようなものが。

反乱軍の指導者的立場とされた「天草四郎時貞」の墓碑とのことです。
しかし、当時16歳で指導者とはどのくらいカリスマ性があったんでしょうか・・。



0104  2
                            <天草四郎像>


これはこの地出身の有名な彫刻家、北村西望氏(平和記念像の作者でもあります)作の像。

この本丸で自害したと言われています。



0104  3


本丸からの景色です。
すごく綺麗です。

篭城していた領民もこの景色を見ていたのでしょうか。



0104  12


こちらは本丸の石垣跡です。

小田原城のような再建した天守閣メインの城と違って、
当時の実践的な城の構造が良く分かり、非常に興味深いです。



0104  14


こちらは本丸虎口(出入口)跡です。

かつては城門があったところです。
廃城となる前は結構立派な城だったと推測されますが、
江戸幕府によって原城そのものが闇に葬られているため、ほとんど資料が残されていません。



0104  13


島原の乱後、二度と城として使えないように石垣などは徹底的に破壊されました。
その後、あまりに多い遺体などはそのまま放置され、
この地は長い間立ち入り禁止区域とされました。

そのため当時の遺構が状態良く残されています。

実はこの反乱軍にもダークな部分があったようで、
南島原の領民全員が反乱軍として戦ったのですが、
戦をしたくない領民まで無理やり引き込まれたようなんです。

そのため、女性、子供など非戦闘員までも殺されることになってしまいました。

この場所からは鉄砲の弾を溶かして急ごしらえでつくられた十字架などが発見されています。
迫り来る幕府軍に怯え、最後の希望を神に託したのでしょうか・・・。



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本丸跡から見た普賢岳(平成新山)です。

この頃にはだいぶ天気が回復してきました。


次に訪れたのはコチラ。

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島原城です。

上にも書きましたが、松倉重政が築城した、4万石クラスの小大名には明かに過ぎた城です。

こちらの天守閣は再建されたコンクリート製なのですが、
このバカ殿の見栄っ張りぶりをよく再現してます。


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本丸からの眺めです。そうとう広い敷地です。
今は学校が建っている場所まで当時は三の丸がありました。

有明海を挟んで対岸にはあの三大名城の一つである熊本城が建っています。
熊本城に感化されてしまったんでしょうか。


デザインとしては「破風」が無いのが特徴ですが、そこがイマイチなんですよね。
なんとなく中国の建物っぽいというか・・・。



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 ココが破風です。                         ※この写真は小田原城です。




0104  31

島原城の周りには、沢山の像が。


0104  30

なぜか、天草四郎像の横に織田信長像・・・。



                           長くなったので、その⑤に続きます。
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